東日本大震災

震災関連のニュースなどの映像を見ていて、

「ひどいことになったことはわかるけど、実感がないなぁ」

「もっと考えなければならないことがあるような気がする」

との思いから自分の目で見ようと、三陸に向かいました。

※写真は2011年4月27日に撮影しました。


ミニクーパー号で東北自動車道を北上。

東北自動車道

福島県内に入ったあたりから路面が極端に悪く、

「ただ走っているだけでムチウチになってしまうかも」

凹凸の段差が大きくて、ピョンピョン跳ねながらの走行。

釜石自動車道 東和インターから遠野経由で釜石へ。

釜石に向かう途中でよく見かけたのは、自衛隊の車輛と、

遠野でよく見掛ける自衛隊

「がんばろう!岩手」などの応援メッセージや、「支援ありがとう」の感謝のメッセージ。

道路標示応援メッセージ

一方的な“応援”メッセージだけでなく、返答的な“感謝”のメッセージもあることで、

一致団結して苦難に立ち向かっている証に思えてうれしい(^_^)

なんて呑気に思いつつ釜石の市街地に入った瞬間、

被災した釜石市街の様子1被災した釜石市街の様子2被災した釜石市街の様子3

「!?」

テレビで幾度も流されている衝撃的な光景。

自分の目で直視すると言葉にならず、呼吸ができなくなるほどに胸が締め付けられます。

被災した釜石市街の様子4被災した釜石市街の様子5被災した釜石市街の様子6

「阪神をはるかに超えてしまっている...」

同様に巨大地震に襲われた“阪神大震災”はたとえ建築物が倒壊しても、“位置”はほぼ変わりませんでした。

けど東日本大震災は、巨大津波によって古来より綿々と繋いできた生活の“位置関係”をも容赦なく破壊し押し流していました。

漁港として、鉄鋼の街として人々が暮らし築き上げてきた街の風景と位置関係を一瞬で破壊しつくす津波の破壊力に茫然自失

戦場に行ったことはないけど、まさに“戦場”のような光景。

釜石から国道45号に入り北上。

走行中も衝撃的な光景の連続。

国道45号からの光景1国道45号からの光景2国道45号からの光景3

国道45号からの光景4国道45号からの光景5国道45号からの光景6

下端が曲がった看板も現れ、

曲がった看板

「あの高さなのに何かがぶつかって曲がっちゃったんだ...」

途中、国道45号から県道280号に入り大槌の市街地へ。

被災した大槌の光景1被災した大槌の光景2被災した大槌の光景3

「釜石よりもさらにヒドいなぁ」

辛うじて道路分だけ、ガレキを除けてクルマが通行できるようになっているものの、道路以外はほとんど“手つかず”状態。

さらにこんな光景も

クルマが家に載る

「家にクルマが載ってる!」

国道45号に戻り、今度は「吉里吉里」。

被災した吉里吉里の風景1被災した吉里吉里の風景2被災した吉里吉里の風景3

国道45号が海岸線近くを走るので、何もかも津波にさらわれ更地と化してしまった中を走ります。

国道45号をさらに北上し、次は「山田」。

被災した陸前山田の光景1被災した陸前山田の光景2被災した陸前山田の光景3

被災した陸前山田の光景4被災した陸前山田の光景5被災した陸前山田の光景6

ここも山田湾近くを走るので、津波の被害は甚大。

建物やクルマにペンキで“○”と書かれているのがよく見掛け撤去作業が徐々に進みつつありながら、その傍らでは、

捜索の様子1捜索の様子2

自衛隊員や警察官による捜索も続けれてます。

「まだ捜索しなくちゃいけないような状況なんだ」

津波によって“位置関係”をも破壊されてしまった為か、捜索も遅々として進まないんでしょう。

さらに国道45号を走り、宮古市へ。

ココで一番気になっていたのが、いつかこのブログに書こうと思っていた

昨年夏に食べた美味しいレストラン

被災前のレストランまるみつ被災したレストランまるみつ

残念ながら被災されていました。

港町での料理というと、刺身や海鮮丼などの“和風料理”が多い中、このレストランは

宮古近辺の魚介類を洋風テイストで仕上げていて、しかもとっても美味しい!

山田産アカモクと帆立のパスタ山田産アカモクと帆立のパスタアップ

ぜひ復活された暁には、もう一度宮古で味を堪能しに行きます!

宮古市街に入っていくと

消えたままの信号1消えたままの信号2

消えたままの信号の多さが目につきます。

「宮古ほどの大都市でもまだ信号が付かないとは...」



釜石から宮古までの三陸海岸沿いを走り、次々に現れる衝撃的な光景に、

『復興』とは言葉で簡単に言うものの、何年掛かるんだ?

地元の方々や自衛隊員、警察官、ボランティアなどなど多くの人々が関わっていても、震災から1ヶ月半経って、まだこの惨状。

悲惨さはテレビなどで伝えられるより数倍も激しく感じ

“一般人のボランティア”で済むレベルをはるかに超えてしまっている

これから梅雨〜夏を迎え、腐敗・疫病の発生が懸念されるにも関わらず、遅々として進まない復興計画。

具体的な計画の元、確実な技術力・労働力をもつ企業に業務として依頼し進めていかなければ、何年経っても避難所や仮設住宅から抜け出せない!

と痛感。

火事場泥棒的な“復興税”なんてくだらない話が出ていますが、上記の写真のような状況で何兆円もの大金がつぎ込まれたとしても、“何にどうやって使うか”が明確に示されない限りは“復興”はあり得ません。

被災現場を直視した人間として復興に向けた提言を考えてみました。

我々は世界有数の技術大国なのですから、まずすべきは

日本中の持てる技術の粋を集め、官民あわせて力を発揮できる場を被災地に用意する

そして、

企業から提供される技術力・労働力を“復興税”として納税する

いちいち1億人の国民から税金を集めるより、

被災地で活動できる業種の企業はその力を、そうでない業種の企業は、燃料や食料などを後方支援

企業が活躍できる場を設けた上で、

お年寄りや体の不自由な方のお世話に一般ボランティアが現地に入る

東京〜仙台を新幹線で往復するだけで21,580円掛かります。

志高く現地に入られるボランティアの方々がまともに働ける場がなく、かえって交通費と意欲を失いかねない現状を早急に改善し、“ボランティアの立ち位置”を明確にすることも重要です。

いま求められているのは、実行力とスピードです。

戦後、驚異的スピードで復興を成し遂げた国の意地と誇りと底力を試されています。


最後に、お亡くなりになられた方々の冥福をお祈りし、怪我をされた方々、財産を失われた方々には心よりお見舞い申し上げます。